舞洲から大阪のスポーツを盛り上げる!〜プロ3チームスタッフ対談〜

大阪市此花区にある人工島・舞洲にはプロスポーツチーム、オリックス・バファローズ、大阪エヴェッサ、セレッソ大阪の拠点がある。その舞洲地区の活性化事業・舞洲プロジェクトが発足するにあたり、第一弾企画として各球団の今事業担当者であるオリックス・バファローズの小浜裕一氏(写真左)、大阪エヴェッサの城 秀樹氏(写真中央)、セレッソ大阪の片倉庄一氏(写真右)を招いて対談を行った。

3人はそれぞれ全く違うアプローチでこの業界に足を踏み入れ、それぞれのやり方で自チームの、大阪のスポーツを盛り上げるべく活動している。今回はそれぞれの業務内容と仕事への想いから、今プロジェクトへの参画について思うこと、互いへの質問・相談に至るまで、大いに語り合ってもらった。

(取材・文:舞洲Voice編集部)

3球団各担当者がスポーツ業界に関わるまで

選手から球団職員になれるのも一握りだけ。

小浜:僕は神戸の高校から高卒でプロに入ったんですけど、当時は阪急ブレーブスというチームで、球団買収により親会社がオリックスになりました。現役は9年間。引退して、僕は運よくチームのスタッフとして残してもらうことができました。高校までも野球しかしてないし、高校からも野球しかしていない。プロになってからも9年間、30歳手前までずっと野球しかしていなかったので、新しく会社という組織に入って、全然分からないことばかりで。今もそうなんですけど、いろいろな人に助けられて、勉強させてもらっています。

仕事としては3年前まではずっとチームについていました。チームを連れてキャンプに行き、シーズンが終わるまで遠征含めずっと一緒に滞在して、いろいろとそこで仕事をするという。3年前からは事業部、いわゆる営業の仕事をさせてもらっています。

今までずっと現場で野球しか見ていなかったのが、この3年でいろいろな人と会えましたし、チケットやシーズンシートを実際に売るということもしてきました。他にもコミュニティグループという社会貢献活動のチームの仕事も実は持っていて、今回はそこの仕事として舞洲プロジェクトに関わっています。

僕のように選手を引退した後、職員として球団に残れるかどうかは運とタイミングですね。性格が良いから採用したいと思ってもポストが空かないと入れられないわけで。僕は現役を終えたタイミングでたまたま空きがあったので、入れてもらえたということです。

それは職員だけの話ではなくて、選手も同じです。僕が現役の時、選手枠は60名だったんですよ。今は70名プラス育成枠がありますけど。10人獲ったら10人辞めさせないといけないわけです。その中には外国人もいるので、日本人だけだとだいたい55人前後が各球団の枠になってきます。まだあと1、2年いけるんじゃないかという選手でも、その年にたくさん選手を獲れば解雇というケースも多々あります。

今は選手会が確立され、解雇通告は日本シリーズの前までとか、いろいろと段階を踏んで、選手が路頭に迷わないようになっています。でも昔はそれこそドラフト翌日に呼び出されていきなり解雇になるケースもありました。他球団もその頃には枠が固まった状態なので、どこにもいけないという状況もたくさん目にしてきました。タイミングと運の善し悪しにかなり左右されると思いますね。

元選手で引退後に球団職員になった小浜氏(右)

専門学校に通い直し、美容師を経てスポーツ界へ。

:私は全然バスケットボールをやったことはなくて、13年ほど美容師をやっていまして。それもサラリーマンを辞めて、専門学校に行き直してなったんです。私は元々先生になりたかったんです。だから大学時代は就職活動をあまりしていなくて、結局一般企業に勤めることになりました。

その中で“教える”という思いは捨てられず、人を魅力的にみせる美容師になろうと思いました(笑)そこから美容師の教師というのもあるじゃないかと思いまして。最終的に専門学校の教員の枠がたまたまあったので、そこに仕事が決まりました。でも急に向こうの都合でダメと言われて、路頭に迷うことになってしまったんです。39歳くらいの時ですかね。

今度はあまり美容師にこだわらずに新しいことにチャレンジしようとネットで仕事を探していたら、たまたま大阪エヴェッサの営業職の募集があったので、思い切って面接をダメ元で申し込んだら受かりました。

営業職の募集だったんですけど、当時大阪エヴェッサのスポンサーは今よりずっと少なかったんです。だからとにかくスポンサー集めに走る、それこそ飛び込み営業みたいなことですよ。でもピンポンを押して「大阪エヴェッサです」と言っても、ほとんど何それ?という感じのリアクションでした(笑)

今、私はホームタウン担当として業務を行っています。今までそういう部署はなかったんですけど、例えば区民まつりにエヴェッサを呼びたくても誰に話したらいいか分からなかったとか、そういう声を頂いたからですね。

美容師から転身してスポーツ業界に入った城氏

見た目はサッカー出身だが実は競技は素人のセレッソ広報

片倉:僕もこの会社に入社して、最初は営業をやっていたんですけど、一番言われたのが、「元サッカー選手ですか?」「ユース出身ですか?」という質問ですね。でも僕は全然サッカーをやっていなくて、ど素人なんですよ。だから初めは名刺交換で選手のプレーについて言われても、話を合わせるのがすごく辛くて(笑)ちなみに僕は空手とボクシングをやっていました。この会社に入ってサッカーと出会いましたし、大阪の土地に初めて来たのでかなりアウェイな感じで戦っていました。

出身は石川県で、転職を機に大阪に来たという感じですね。もともとはリクルートで広告の営業を5年ほどしていました。

なので、もともとはセレッソ大阪でもずっと営業をやっていました。広報に移ってから、去年までの2年間はチームについていて、キャンプに一緒に行ったり、日々の練習を番記者と一緒に取材したり。そこからクラブ広報というところに変わって、今の仕事をしているという感じです。

大手企業の営業から転職でセレッソ大阪入りした片倉氏