舞洲のスポーツ産業を支える裏方達の話。 エヴェッサ×オリックス×セレッソ 営業マン対談

スポーツチームの運営において大きな意味をもつスポンサー収入やチケット収入をいかに勝ち取るかというのは、各チームの営業マンの力の見せどころだ。舞洲にホームを置く3つのプロスポーツチームにおいてもこれらが収入源の柱となることには変わらない。今回は、大阪エヴェッサ・清水省二氏(営業部ジュニアマネージャー)、オリックス・バファローズ・山本康司氏(リテール営業部 チケットグループ長 兼 ファンクラブグループ長)セレッソ大阪・猪原尚登氏(営業グループ グループ長)、という、それぞれチームの営業マンを招き、入社の経緯から、チームの成績など外的要因に影響されやすいスポーツチームのスポンサー集めの話を中心に語り合っていただいた。

 

インターネットが無かった時代、とにかく足で稼ぐしかなかった

-まずは、お三方がスタッフなった経緯を教えてください。

エヴェッサ・清水:私は前職で旅行会社にて営業をしていました。ただ、スポーツ事業に昔から興味があり、ある日エヴェッサの募集を見つけたので、応募しここの営業職に就きました。

 

セレッソ・猪原:私は1997年に新卒で入社しました。Jリーグが今年25周年なのですが、僕は入社して今年22年目になりますね。もともと僕も小学校からサッカーを始めて、大学まで体育会サッカー部でプレーしていました。日本でJリーグが始まった年はちょうど大学に入るタイミングでしたね。今みたいにスポーツビジネスやスポーツマネジメントは大学に学科もなかったですし、教わることもなかったんです。選手になりたいと昔から思っていたのですが、それを諦め学校の先生になろうと教職の授業を取っていました。ただ、東京の大学を卒業して大阪に帰ってきてもすぐに本採用されなかったんです。新卒の年は非常勤講師の枠に申し込んでいました。

たまたま僕の実家が長居陸上競技場から自転車で10分くらいのところだったのですが、1997年のセレッソは、Jリーグバブルが弾けてどん底ぐらいの年で観客動員も1万人を切ってしまっていたときでした。そのときはオフィスが梅田から長居に移ったタイミングでもあって、地域密着という言葉を掲げて地元を中心に折込チラシを配布していたんですね。もちろん私の実家のポストにもチラシが入っていたのですが、試合情報の下に小さく社員募集と書いてあるのを見つけたんです。要は長居に来て人が足りないから地元の人を採用したほうが良いだろうということだったんですね。

営業が何をするのかは正直わからなかったのですが、応募してみたところ、縁あって通ったという流れです。

 

<セレッソ大阪・猪原さん>

オリックス・山本:私は大学まで野球をやっていたということもあって、学生時代から球団で働きたいという思いは持っていました。とはいえプロ12球団に直接入れるチャンスは少ないから、球団のグループ会社に入社しその後、野球に携われたら良いかなと思っていたんです。球団は新卒採用をしてなかったですからね。そこで球団のグループ会社であるオリックス自動車㈱の採用試験を東京で受けて、新卒で入社しました。2年間、自動車リースの営業をしていたのですが、球団のの営業を強化をするにあたってグループ内で公募がありそれに応募をし、球団で働くという夢が叶ったわけです。入社3年目で球団に移り、今シーズンで19年目となります。元々は出向という形でしたが、今は球団に転籍になっています。

 

-入社して最初はどのような業務をしていたのでしょうか?

エヴェッサ・清水:最初はチケットのセールスに携わることになり、企業や団体向けのチケットと、いわゆるB to Bのチケットセールスをしていました。今は新規開拓事業部という部署の責任者として、スポンサー企業を取りに行くことをメイン業務として担っております。スポンサー営業というのは獲得してきて終わりではなく、アフターフォローも非常に大事になってきますし、そこの部分も注力して取り組んでいます。

Bリーグは現在シーズンオフなので、来シーズンのシーズンシートを多くのファンの皆さまに購入していただこうとしています。

セレッソ・猪原:僕が入社した当時はファンの方も「チケットってどこで買ったら良いんだろう」という状態でした。コンビニで簡単に発券できる時代ではなかったので、チケットぴあやセゾンのチケットカウンターに行って買わないといけない。もしくは当日券。もちろんオンラインチケットなんか皆無の状況です。それをいつでもわかりやすく買えるようにスタジアムの半径5kmぐらいのところのたばこ屋さん、喫茶店、あとは商店街などを回って「チケットを委託で良いから置いて下さい」と飛び込み営業的な感じでお願いしていました。

僕が入った時は20店舗ぐらいあったんですが、それを増やそうということで、自転車でいろいろなところを回りました。途中から軽自動車になりましたけど、自転車で集金行ってチケット置いてというのをずっと2年ぐらいそれを中心にやっていました。

 

オリックス・山本:オリックスに入社してからの19年で業務は色々と変わっています。最初は年間席をとにかく売ってこいという部署で、注力していたのは年間席の営業でした。商店街や法人企業を中心に、神戸市内の会社に電話をかけて飛び込み営業をするというのをやっていました。