【特別対談】オリックスとエヴェッサの若手選手が語りあう舞洲の魅力と可能性

オリックス・バファローズ、セレッソ大阪、そして大阪エヴェッサ。大阪をホームタウンに持つ3つのプロスポーツクラブが拠点を構える舞洲は、スポーツ間の横断がしやすい貴重な地域だ。しかし、近くにいながらもそれぞれに関わる人々の交流はなかなかない。今回よりその橋渡しという意味も込めて、各クラブの選手間やファン同士を近づけるための対談企画をスタートする。それぞれのクラブから若手の選手に1名ずつ登場してもらうが、第1回のゲストは大阪エヴェッサ・合田怜選手とオリックス・バファローズ・吉田凌選手の2人。自身について、それぞれのスポーツについて、そして舞洲という地域について。エピソードや思いを語って頂く。

(取材・文:竹中玲央奈)

取材協力:健康スポーツ食堂「Athlete Table」

越境進学と地元進学。対象的な2人

-まずは、それぞれのスポーツを始めたきっかけや経歴を教えてください。

吉田:父親が大学まで野球をやっていて、自分が長男だったので父親に勧められて小さい頃から始めました。保育園とか幼稚園ぐらいから暇さえあればグローブとバットを持って父親とキャッチボールしたりバッティング練習したりしていましたね。

 

-野球以外をやったことはあるのでしょうか?

吉田:学校の授業とかでは違う競技やったりしますけど、それ以外はやったことなかったですね。ずっと野球一筋です。

 

-合田選手はいかがでしょう?

合田:バスケを始めたのは兄の影響です。兄に連れていってもらい遊びにいくようになったので、いつのまにか始めていました。

 

-というと、合田選手もバスケ経験のみ?

合田:そうです。でも小さい時は水泳もやっていました。あとは親が格闘技好きなので、空手を少しやっていました。

 

-お二人がプロを意識し始めたのはいつからなのでしょうか。バスケは最近プロ化されたこともあり、なかなかイメージしにくかったかなと思います。

合田:リーグが2つあったので本気でプロをイメージしたのは大学に入ってからです。

 

-比較的遅いのですね。吉田選手はもっと昔からでしょうか?

吉田:そこまで昔からではないです。目標に変わったのは高校の時だったのですが、小学生、中学生の時はまだまだ夢というか、明確なものではなかったです。高校に入ってからプロ野球選手は現実的な目標となりました。

 

-越境進学をしていますもんね。(吉田選手は兵庫県出身だが、高校は神奈川県の東海大相模へ進学)

吉田:高校野球は1度きりだったので、どうせやるなら激戦区の神奈川でやりたいと思っていたんです。そして、東海大相模からお話をいただいたので行くのを決めました。他にも候補はあったのですが、最終的に当時から有名だった小笠原慎之介(中日ドラゴンズ)も来ると聞き、一緒にやりたい気持ちもあって東海大相模を選びました。

-合田選手はずっと大阪ですか?

合田:そうです。高校選びについては監督の人柄に惚れたというのがあります。また、早い段階で中学の試合を見にきてくれていたので、迷いはなかったです。ただ、チームでの最高成績は大阪府ベスト4くらいですから、吉田選手と比べるとパッとしないのですが…。

 

-大阪を出たいとは思わなかったのでしょうか?

合田:ありませんでした。ずっと大阪でやりたいと思っていました。高校から外に出るというのは…。僕は精神的に幼すぎてそんなところではできないですね。怖いです(笑)。中学3年生で関西から関東に出ると決めることのがすごいです。

吉田:でも、『やっちゃったな…』と思いましたよ(笑)。めちゃくちゃ後悔しました。入寮して1週間ぐらいが本当に長くて、『なんでこんなところに来たんだろう。兵庫に残っておけばよかった』とは何度も思いました。学校を辞めたいと思うことも何度もありましたけど、1度きりだったので一生懸命やりましたね。

 

-どういうところが嫌だったのでしょうか。

吉田:中学まで兵庫にいていきなり行って、野球の練習も厳しかったですし精神的にもだいぶ病んでいました。嫌だなと思ってずっと新幹線見て、いつ帰ってやろうかとも思っていました。慣れない環境というのが辛かったです。

合田:でも、そこでしか経験できないことがたくさんありますよね。