セレッソを“声”で盛り上げる男。西川大介が語るスタジアムDJのあり方
僕がDJをやっている中でずっと感じていることがあります。それは、“サッカーの試合でしょうもないDJがしょうもない喋りをするとしょうもない試合になる”ということ。一個一個の入場を「すごいやつがこれから入ってくるぞ!」と思いながら喋っているのですが、それを見たときに子供達が『自分もこういう風になりたい、喋ってもらいたい』と思ってもらえればな、と。そういう意味でも1試合1試合に賭けてやっていますし、ミスをしたら終わりだとも思っています。その状況を見て、その喋りを聞いて、雰囲気ができた中でサッカーを見た時に、セレッソの選手をかっこいいと思ってもらえるようには、常々考えています。
サポーターが応援しやすい空気もそうですけど、自分が選手をリスペクトして話すことで子どもたちも選手への憧れが強くなると思うんです。ヒーローインタビューのときもしっかりと選手をリスペクトしているという姿勢を出して話します。子供達にとって彼らはヒーローなので僕が適当だとヒーローに見えない。そこは常々意識していますね。
サポーターと共に良いものを創っていく
DJをやる中でも色々とトラブルはあります。コールを何回するか、ということで2年ぐらいサポーターと色々と話し合うことがありました。その意見交換はクラブが開催するサポーターミーティングのようなもので案を出して、経過はサポーターやクラブスタッフ、運営の人と話し合って、開催されるたびにまた話す、というような形です。そして今の形に落ち着いたのが2005年頃ですね。
とはいえ、実際今のままで固まったかというとそうでもありません。まだできていないものがたくさんあるとは思います。ただ、クラブとサポーターが意見を合わせながら歩いていくのはすごく大事なことだと思っているので、僕はあーだこーだと言い合って、時間をかけても良いのではないかなと思います。
湘南ベルマーレのスタジアムDJをしている三村ロンドさん曰く、日本で初めてコール&レスポンスをやり始めたのはウチらしくて。『(コールに)何秒ぐらいかかっているの』?と聞かれました。というのも、コール&レスポンスの最中に試合が再開して点が入るということも無きにしもあらずなので。
僕は得点が決まってコールをする時に選手の動きと審判の動きを必ず見るんですよ。アウェイの選手はポジションについている状態でセレッソの選手が喜んでいたらゆっくりやるし、もう自陣に戻っていたら急いでやる。コールをするスピードは結構変えていますね。それをすることによってセレッソの選手たちもゆっくり喜んでくれている感じもしますし。ですから、コール&レスポンスをやっている間にゲームが再開して点を取られる、みたいなことは絶対にないんです。
近くにいる選手との関係性は?
舞洲の練習場へ取材に来ることはもちろんありますし、選手とご飯を食べに行くこともあります。仲良くさせてもらっていますよ。
セレッソのサポーターとコミュニケーションを取って応援しやすい雰囲気にするのももちろん大事なのですが、選手が『誰が何を喋っているんだ?』と思ってしまう、そこをわかってもらえないと本物の意味での“ホーム感”は出ないと思うんです。選手に対して“こんな人間が喋っていてこういう内容を言うんだよ”ということをわかってもらうというのを前提でコミュニケーションを取っています。柿谷(曜一朗)選手、清武(弘嗣)選手、(山口)蛍選手も試合に出ない時はDJブースに嫌がらせに来ますし(笑)、みんなで一体となっている感じを出せています。ただ、それも和気藹々とは違ってリスペクトをしている感じは出せています。
香川(真司)選手は『みんなに真司って呼ばれたい』というようなことを言っていました。そういったリクエストが来るんですよ。サポーターも選手に「こう呼びたい」というように言いますし、それも大阪の良さなんでしょうね。人の良さというか、距離感が心地いいというか。サポーターと選手の距離、サポーターとDJの距離もめっちゃ近いんです。家族というか友達みたいに話しかけてきますから。僕も友達みたいに話しますし、電車でセレッソのホームゲーム言った日は電車でセレッソのサポーターと話ししながら帰る。自分がDJという意識はあんまりないです。
今、トップチームに上がってきた舩木(翔)選手は小学校の時からずっと仲よくて、その頃から一緒に写真を撮っていたんです。その彼がユースに上がって、トップにも上がったというのは変な感じがします。それは柿谷選手もそうなんですけど。それも歴史だなと思いますし、支えてきてくれたサポーターがいて、「みんなでセレッソを創っているな」と最近は思えるようになりました。
<後編に続く>
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