2020年のヒントは大阪にあり!? プロ3チームと行政が組んで目指す未来とは。

舞洲に本拠地を構えるプロスポーツチームの情報を発信している本サイト・舞洲Voiceの運営に携わる大阪市職員の河合氏へのインタビュー。前編に引き続き、後編でも今回のプロジェクトに至った経緯を、そしてスポーツ都市を目指す大阪市の取り組みやその理由について話して頂いた。

舞洲が“スポーツアイランド”になるまで

もともと舞洲のスポーツ施設は、大阪市が2008年のオリンピックを招致した時にメイン会場にする計画でした。でも招致に失敗してしまって、既存施設を、指定管理という形で大阪市が代行料を払って管理していました。ただ、その代行料を払うのも財政的に大変だったのでやり方を変えることになりました。簡単に言うと、今までは大阪市がお金を支払って管理していたところを、向こうが借りるか、買い取ってもらい、契約を結んでお金を大阪市に入れてもらうような形に変えたわけです。エヴェッサさんだけではなくて、セレッソさんとオリックスさんとも同じ事業用の定期借地契約を結びました。

また、大阪市のスポーツ課というのはかなり昔からあったのですが、もともとは教育委員会の中にあったんです。教育行政の中のスポーツという位置づけでした。そこから市長部局に移ったのが平成13年。

自治体でスポーツに力を入れていたという点では、大阪市は日本の中では早いほうだと思いますよ。ちょうど国体があり、またオリンピックの招致をやっている最中に決めたことでした。オリンピック招致にあたり「スポーツパラダイス大阪」というフレーズを掲げていて、平成13年頃は市政の中心にスポーツがありました。残念ながらオリンピック招致に失敗してしまい、それに伴って市政の中でもスポーツ事業というのはどんどん縮小していったんです。それからスポーツは教育行政ではなくて、もう少し市長のもとでやるべきだという声が上がるようになり、橋下市政時には経済戦略局にスポーツ部が入りました。

文化と観光を一緒にし、ヒトモノカネを集める部局に入れる流れでこうなりました。健康推進や教育は確かにスポーツ事業に力を入れていく大きな理由ではありますが、単に体を動かすということだけでなくて、そこで一事業として稼いでいけるような取り組みとしてスポーツが捉えられるようになりました。舞洲のプロジェクトもその一環としての位置づけでした。

その後、吉村市長に代わり、市長本人に深く関わってもらう機会を作ることで、現在では舞洲プロジェクトは市長の重要政策の中に位置付けていただいています。そこから大阪市域のスポーツに広げて、という構想を抱いています。

大阪から障がい者スポーツは広まった

個人的な意見ですが、日本でスポーツ都市と呼べる場所はあまりないのでは、と考えています。でも、世界を見ればそういう都市は多くある。ですから今から頑張っていって、何年後かに日本のスポーツ都市イコール大阪、と言われるようになりたいです。しかし、スポーツ都市として認知されるには一体どういった要素が必要になってくるのかということも考えなくてはいけないですよね。舞洲にはスポーツ施設が充実していますが、それだけではスポーツ都市と思っていただけない。人だったり、情報だったり、もっとソフト面の強化が必要かなと思います。今まさに取り組んでいる舞洲プロジェクトや、大阪市内でスポーツ課がやっていることも、やはりソフト面を考慮しているものが多いです。

例えば長居の障がい者スポーツセンター。ここは1974年に日本で最初にできた障がい者のスポーツ施設なんです。長居から障がい者スポーツが広まったと言っても過言ではないと思います。鈴木長官が2016年の2月に視察に来たのですが、中央の障がい者団体から『障がい者スポーツを語るには、まず長居に行きなさい。』と仰っていただいたのがきっかけと聞いています。でも、長居の障がい者スポーツセンターが評価されているということは意外と、世間には届いていないんですよね。